クレイン日記


図書出版クレイン の日々の記録
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金鶴泳のご友人の平山道子さんに会ってきました。

2016年8月9日(火曜日)に、西荻窪にお住まいの平山道子さんとお会いしてきました。平山さんは、故・金鶴泳の友人で、現在、西荻窪で「山崎ビリヤード」というお店を経営なさっておられます。同行者は、金鶴泳作品のフランス語版の翻訳をされる、ベルギー・ルーヴァン大学のアドリアン・カルボネ氏と、共同通信の阪堂博之記者です。
アドリアン・カルボネ氏から、翻訳をする上で、生前の金鶴泳を知っている方とお会いして、その人物像を聞き、翻訳の参考にしたいという要望が私にありましたので、私のほうから平山さんにお願いして実現した集まりです。
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平山さんは、西荻窪にある「たみ」という飲み屋さんで、金鶴泳に初めてお会いされました。いまから50年ほどまえ、ちょうど金鶴泳が「凍える口」で文芸賞を受賞した頃です。以降、死の直前までお付き合いは続きました。現在、82歳とのことでしたが、とてもお元気でした。いつまでもお元気で。

また、ビリヤード台の上には、金鶴泳の小説の単行本や文芸雑誌を並べていただき、本にまつわる話もいくつかいただきました。金鶴泳は、『統一日報』で「ポプラ」というタイトルで日々折々の営みを連載していたのですが、その何回かは平山さんのアイデアを使っていたというではないですか。「それじゃ、平山さんが書いたようなものですね」と水を向けると、「ほほほほ~」と笑っておられました。さて真実は如何に。
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そんな思い出話や金鶴泳論をお聞きすることができた楽しい時間でしたが、私にとっては、もう一つの特別に楽しい出来事がありました。それは、ビリヤード台に出していただいていた雑誌の中に『文藝』の1985年3月号があり、その号には金鶴泳の遺稿エッセイ「心はあじさいの花」が掲載されていたのですが、なんと、同じ号に、佐藤泰志の「鬼ガ島」も掲載されてるではないですか。ということは、佐藤泰志はこの号が手許に届いたときに、金鶴泳の遺稿を読んだかもしれないということです。その号の目次を見たときに、「あっ」という心の声が私には響きました。いや、絶対に読んでいるはずです。
そしてこの1985年に佐藤泰志は、「オーバー・フェンス」と「そこのみにて光輝く」を執筆しています。ともに映画化された秀逸です。
やはり、彼らはつながっています。こじつけだ、偶然だと言われるかもしれませんが、いや、つながっています。
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そして金鶴泳が亡くなったのは、1985年。佐藤泰志が亡くなったのは、1990年。ともに自死でした。
金鶴泳の思い出話を聞きにいったはずが、金鶴泳と佐藤泰志のつながりを発見する機会になるとは、不思議なことです。

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by cranebook | 2016-08-23 17:30 | 刊行物関連
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