クレイン日記


図書出版クレイン の日々の記録
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# by cranebook | 2017-09-22 11:40 | 雑感

「没後20年 金達寿 小説家として・古代史家として」シンポジウムを開催いたしました。

9月16日の土曜日に法政大学市ヶ谷キャンパスで開催されました、「金達寿 没後20年 小説家として 古代史家として」シンポジウムは、100名近くの参加者を得て、無事に終えることができました。当日は、天候が不安定であったにもかかわらず、多くの方々にお集まりいただき、誠にありがとうございました。
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「日本と朝鮮の関係をより良いものにしたい」と格闘した金達寿の軌跡の一端が垣間見える時間になったように思います。そのことが共催者としてなによりもうれしいことでした。また、共催いただきました法政大学国際文化学部、特に高柳俊男、内山政春の両氏には、当日を迎えるまでに様々にご尽力いただきましたことを、あらためてお礼申し上げます。

当日は、まず主催者として内山氏の挨拶のあと、私から当シンポジウム開催の経緯について簡単に触れ、その後、発言者の講演に移りました。
トップバッターは、廣瀬陽一さん。今回のシンポジウム開催の直接的な契機となった書籍『金達寿とその時代』の著者です。廣瀬さんからは、金達寿の生涯とその知的活動をコンパクトに紹介いただきました。そして金達寿は、小説と古代史研究、その他ジャーナルな文章や社会活動を通して、学問領域を越えたネットワークを作り、そして朝鮮と日本という民族の垣根を突き崩す言説空間を開拓したと結論づけ、彼のその知的遺産を、現在の混迷する日本と朝鮮との関係にどのように生かしていくのか、という課題を提示されました。
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二人目は、佐藤信行さん。佐藤さんは、「季刊三千里」の編集者として金達寿とどのように付き合い、そこから何を学んだのか、ということを話されました。佐藤さんにとって「季刊三千里」は、まさにご自身が卒業することのなかった大学にひっかけて「三千里大学」であったと表現され、多くのことをその時期に学んだと懐かしそうに振り返られました。そして「季刊三千里」がなかったとしたら、その後の日韓・日朝、在日問題はどのような展開になっていたか。そのことをあらためて考えてみることを提起されました。現在、ご自身は、福島第一原発事故で避難を余儀なくされている外国籍住民の支援活動に尽力されています。現在の活動は、過日の「季刊三千里」での活動の延長線上にあるものでしょう。
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三人目は、文京洙さん。現在、立命館大学の特任教授。文さんは弊社で『在日朝鮮人問題の起源』を刊行されています。文さんと金達寿との付き合いは、「季刊三千里」の後継雑誌といってもよい「季刊青丘」の編集委員を文さんが務めたことによって始まります。文京洙さんのお話しは、金達寿がさまざまに批判され、また困惑もさせられた組織=朝連(在日本朝鮮人連盟)から総連(在日本朝鮮人総連合会)は、金達寿にとって「祖国」といってもよい存在で、自身の精神的な拠り所であったということでした。文さんの話からは、かつて、在日社会において、善かれ悪しかれどれほどの権威と影響力を在日組織が持っていたのか。そのことを再確認することができました。組織への評価は現在時点の価値観からおこなっていては、的を射たものとは言えないでしょう。また、そうした金達寿の組織観の対比として、金石範氏の組織観を紹介されました。それは一言で、「〈神〉としての組織」ということでした。「〈祖国〉としての組織」vs.「〈神〉としての組織」。たいへん興味深いテーマを提示いただきました。
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四人目は、高柳俊男さん。法政大学国際文化学部教授。在日朝鮮人研究、北朝鮮帰国事業研究がご専門です。金達寿は、1971年から数年間、法政大学文学部で講師をしていました。おそらく新日本文学会系の作家であった中野重治など数人の作家と作品を論じたのではないかと思われます。それゆえ、会場となった法政大学は金達寿にとって縁浅からぬ場所でもあり、高柳さんは、「金達寿と私と法政大学」というテーマで話されました。同じく法政大学で教えていた、著書『オンドル夜話』で知られている尹学準を、金達寿は後輩としてたいへんに応援しました。就職まで世話をしたようです。しかし、晩年は関係が決裂したこともあり、尹も金達寿のことについては、多くを語らなかったようです。また、高柳さんは、NHKでの朝鮮語講座の開設を要望する署名活動に参加した思い出を、金達寿とからめて話されました。そもそもNHKの朝鮮語講座開設の運動は、金達寿と哲学者の故・久野収さんとの「季刊三千里」誌上での対談がきっかけで生まれました。若き頃に高柳さんは「季刊三千里」の事務所に出入りし、雑誌の発送のお手伝いもされていたそうで、金達寿の自宅にも伺ったそうです。そんなお話しを通して、「朝鮮を正しく知ることの意義」の重要性を提起されました。
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最後の五人目は、呉文子さんです。呉さんは、雑誌「日本のなかの朝鮮文化」以降の金達寿の表現活動の同志であり、同伴者とも言える李進熙氏のお連れ合いです。ですので、金達寿とは長年にわたってお付き合いされてきました。両親を早くに亡くした金達寿の不遇な家庭環境が、自身が家庭を築くうえでの枷になったこと。息子との親子関係の破綻が、金達寿のその家庭環境に由来することなどについて話されました。また、あれほど信頼し精神的な拠り所であった組織からの執拗な批判によって、金達寿はたいへん傷ついたということでした。そのお話しは、ご自身のお連れ合いであった李進熙氏が、また同じように総連=組織から批判されたときに、李氏がどのような精神状態であったのか容易に想像されました。呉さんは、1991年に在日女性同人誌「鳳仙花」を創刊し、以降、在日女性の表現活動をご支援されてきました。当初、今回のシンポジウムでお話しいただきたいとの当方からの依頼に対して、私が話せるとすれば、ただ単なる思い出だけなので、それではシンポジウムの価値を下げることになりはしないか心配だとおっしゃっていました。それに対しては、今回のシンポジウムは学術的なものではなく、没後20年の今、金達寿をそれぞれが偲ぶ機会にしたい、とのこちらの要望をお伝えして、ようやく講演をお引き受けくださいました。呉さんのお話しからは、金達寿の知られざる一面が伝わり、今回のシンポジウムでは必要な内容のお話しでした。呉さんにあらためて感謝申し上げます。
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以上、シンポジウムのご報告をさせていただきました。

繰り返しになりますが、当日は、100名近くの方々にお越しいただきました。当初、どれぐらいの人数の方がお越しになるかまったく予想がつかず、十数人でもいい、アットホームな会になればそれだけでも意味のあることだと腹を括っておりましたが、こんなに多くの方々にご参加いただき、たいへんうれしいことでした。
今回のシンポジウムでは、金達寿の人物像を振り返ることで、彼を偲ぶことに重点が置かれていましたので、学術的な問題、例えば、在日朝鮮人文学の中での位置、古代史研究の評価など、まだまだ金達寿を考えるうえでのテーマは存在しています。いつの日か、このようなテーマを話す機会をつくりたいと思います。その折にはどうか皆さんご参加ください。
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# by cranebook | 2017-09-22 11:39 | 刊行物関連

【『対話のために』「帝国の慰安婦」との問いをひらく】公開書評会が開かれました。

7月21日の金曜日に早稲田大学において、【対話のために「帝国の慰安婦」という問いをひらく】の公開書評会がひらかれました。韓国から『帝国の慰安婦』の著者・朴裕河さんもゲスト参加され、執筆者を含め70名ほどの参加者がありました。

早稲田大学で開催されたのは、本書『対話のために』の編者のお一人である浅野豊美さんが教鞭を執られていることもありますが、同氏は今後、【和解の創成】をテーマに研究をされていく予定であることも、今回の開催につながったようです。

会は和田春樹さんと紅野謙介さんからの、「慰安婦問題」と本書に対する短評からはじまりました。和田さんからは、「アジア女性基金」で要職をつとめられたご本人の体験談を中心に、この間の「慰安婦問題」の流れが話されました。朴裕河さんの『帝国の慰安婦』が政府関係者に一定の影響を与えたであろう、という言葉には若干の驚きがありました。
また、紅野謙介さんは、文学研究と歴史実証主義のせめぎ合いの問題が文学研究者としてのご自身のポジションからお話しされました。文学研究は実証主義史学にどう影響を与えるのか、いや、与えられるのか。そもそも文学表現は歴史たり得るのか(小説は歴史的事実なのか)という設問だと思います。紅野さんのご意見では、文学の自省を強く求められているようでしたが、これには異論もあることでしょう。事実、朴さんや、著者の中川成美さんからは、時約款の違和感が表明されました。
さらに、紅野さんからは、「慰安婦問題」の進展具合と「水俣病」の認識過程とを対比した議論も提起されました。あらためて考えてみるべきテーマだと思います。

著者としては、西成彦(兼・編者)・外村大・中山大将・上野千鶴子・熊谷奈緒子・熊木勉・四方田犬彦・中川成美の各氏にお越しいただきました。
西さんからは、『帝国の慰安婦』批判ばかりが横行する中で、その状況を是正したいという思いから、この論集『対話のために』を編んだことが語られました。外村さんからは、文学研究をどのように取り入れるのかという歴史研究者への問いかけを本書を通してしたいのだということ。中山さんからは、「慰安婦問題」についての場外乱闘をもうやめようではないかということ。上野さんからは、生存者のエイジェンシー(主体)は時と場所の違いにより、ゆれ動くものであり、フォーマットなき「語り」の可能性を追求していきながら、「慰安婦問題」から/の外に展開していきたいとの希望が語られました。熊谷さんからは、「強制性」ということを共通のテーマにして、戦争被害者の問題を考えていきたいということ。熊木さんからは、「慰安婦問題」を暴力性の観点だけからではなく、個々の「慰安婦」の抱えたであろう「恥ずかしさ」ということも念頭において、本書を執筆したということでした。また、熊木さんからは、「慰安婦」を扱った同時代の文学作品が思いのほか少ないとの発言がありました。私個人の思いとしては、熊木さんのテーマがとても興味深いものでしたので、もっと多くの同時代の「慰安婦」に関する文学作品を紹介してほしいと思っていたものですから、少しばかり残念でした。四方田さんからは、日本映画の中では、戦後すぐから「慰安婦」をテーマにした作品を作ろうと奔走した映画監督・黒沢明・吉村公三郎などの話が紹介されました。また「慰安婦問題」と「拉致問題」をクロスして考える必要について訴えられました。そのほか「少女像」の将来に対すて日本の「お地蔵様」に比したお話しは、一笑にはふせない説得力がありはました。中川さんからは、小説家の田村泰次郎の作品を例に、文学は「虚構」ではあるが、けっして「噓」ではないと語られ、そのことを歴史的史実と文学作品を混同することの危惧についての反論とされていました。
そして、ゲストの朴裕河さんからは、『帝国の慰安婦』が訴訟沙汰になった理由について話され、それはけっして本の中身のことだけが理由ではないということの説明がされました。では、その理由はなにか。朴さんによれば、それは「慰安婦問題」の解決のための日本の「法的責任」を認めていないからだとのことでした。そして『帝国の慰安婦』が日本の読者に受け入れられたことを、なぜ否定されなければならないのか、受け入れられる本であってよかったと言われました。朴さんのお話しからは、これまで知られていないことが多々あり、参加者にも貴重な時間となったのではないでしょうか。

以上、書評会の報告をさせていただきます。当日お越しいただきました皆さま、どうもありがとうございました。
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# by cranebook | 2017-07-25 15:11 | 刊行物関連

『対話のために』の韓国語版が出来上がりました。

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5月に刊行した『対話のために 「帝国の慰安婦」という問いをひらく』の韓国語版が出来上がりました。
さっそくに事務所に届きました。発行はプリワイパリ出版社、発行者は鄭鐘柱氏です。氏は東京大学でも学んでいたとのことです。
鄭さん、どうもお疲れ様でした。なにしろ、日本語版の1カ月後の刊行ですので、いかほどのご苦労があったことか。想像するに余り有ります。
いずれにしろ、日韓での同時刊行が朴裕河さんの訴訟に好影響を与えてくれることを、ただ祈念するばかりです。

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# by cranebook | 2017-06-19 12:48 | 刊行物関連

藤田嗣治展に行ってきました。

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現在、府中市美術館で開催されている「藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画」に行って来ました。
府中市美術館には、年に数回は行くでしょうか。けっこう興味のわく企画があって、近郊に住んでいる者としては、重宝しています。とにかく、府中市は財政に余裕があるのでしょう。私の住んでいる小金井市と比べると、美術館の規模と企画の幅が違いすぎます。閉館時間が早いのだけが不満ですが。

そして、今回は藤田嗣治展です。私はなぜか藤田嗣治が好きで、展覧会には何度か訪れています。
彼の描くパリの風景が小気味よくて、観ているとほっとするんです。あとは、南米の女性たちの描写でしょうか。彼女たちの眼差しがとてもいいんですね。etc

ただ、今回は藤田の戦争がの三点をじっくりと観ました。
「アッツ島玉砕」「ソロモン海域に於ける米兵の末路」「サイパン島同胞臣節を全うす」の三点です。
ともに東京国立近代美術館が無期限貸与している作品です。
「玉砕」「臣節を全うす」「米兵の末路」などの作品名からは、たしかに、戦意高揚のための絵画であると考えて間違いないのでしょうが、その絵の前に立ってじっくりと観ると、とくに「アッツ島玉砕」などは、反戦画としても、成立するように思いました。

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発表当時は、観客がこの絵の前で跪いたり、手を合わせたり、などして、絵の中の兵士たちへの哀悼の思いを表したそうですが、そんな中に、戦争の悲惨さを感じ取った観客が幾人かいたのではないでしょうか。もちろん、一方でその絵に刺激されて銃後の守りを固く誓った人々も、また存在したのでしょうが。

そんなことを思いながら、その戦争画の前でしばらく佇んでいました。


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# by cranebook | 2016-12-01 15:20 | 雑感