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クレイン日記


図書出版クレイン の日々の記録
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# by cranebook | 2016-08-25 13:23

ラジオ「むさしのFM」に出演しました。

2016年8月19日金曜日に、「むさしのFM」市民の会企画・コーディネート番組「発信!わがまち・武蔵野人」に出演しました。初めてのラジオ出演でしたが、とても楽しい時間で、よい体験になりました。この番組は、武蔵野市で生活されている各分野の人たちに、その活動について話してもらう20分の番組です。
クレインも事務所を吉祥寺に移して、今年で10年目になりますので、私ももう武蔵野人と言ってもよいでしょう。ねえ、そうでしょう。
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当日は、司会の亀井薫さんの質問に答えていく形で進行していきました。
話の内容は、第1回日本翻訳大賞を受賞した『カステラ』のことから、韓国文学のこと、「在日」に関することなどで、気がつけば、あっという間の20分でした。

まあ、私が言いたかったことは、韓国の現代小説がもっともっとここ日本で翻訳されてほしい、そしてそのことが、等身大の韓国理解につながり、それがひいては、日本社会の中での「在日コリアン」の認識の向上に繋がる、という、そのことに尽きます。
なにしろ、たとえ言葉ができない、一度として朝鮮半島を訪れたことがなかったとしても、日本国籍保持者ではないことによって、いまなお在日コリアンは、日本と朝鮮半島の関係の狭間で、生きざるを得ない存在なんです。ですから、日本と朝鮮半島の関係がより良いものになってくれることを希求せざるを得ないでしょう。そのことを伝えたかったんです。
リスナーとして幾人の方がおられたのかはわかりませんが、たった一人の方でよいので、私のこのような思いの一端が届いていれば、それは望外の喜びです。
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私に声をかけていただいた、市民の会のみなさま、そして司会の亀井さん、どうもありがとうございました。よい思い出をいただくことができました。

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# by cranebook | 2016-08-25 13:18

金鶴泳のご友人の平山道子さんに会ってきました。

2016年8月9日(火曜日)に、西荻窪にお住まいの平山道子さんとお会いしてきました。平山さんは、故・金鶴泳の友人で、現在、西荻窪で「山崎ビリヤード」というお店を経営なさっておられます。同行者は、金鶴泳作品のフランス語版の翻訳をされる、ベルギー・ルーヴァン大学のアドリアン・カルボネ氏と、共同通信の阪堂博之記者です。
アドリアン・カルボネ氏から、翻訳をする上で、生前の金鶴泳を知っている方とお会いして、その人物像を聞き、翻訳の参考にしたいという要望が私にありましたので、私のほうから平山さんにお願いして実現した集まりです。
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平山さんは、西荻窪にある「たみ」という飲み屋さんで、金鶴泳に初めてお会いされました。いまから50年ほどまえ、ちょうど金鶴泳が「凍える口」で文芸賞を受賞した頃です。以降、死の直前までお付き合いは続きました。現在、82歳とのことでしたが、とてもお元気でした。いつまでもお元気で。

また、ビリヤード台の上には、金鶴泳の小説の単行本や文芸雑誌を並べていただき、本にまつわる話もいくつかいただきました。金鶴泳は、『統一日報』で「ポプラ」というタイトルで日々折々の営みを連載していたのですが、その何回かは平山さんのアイデアを使っていたというではないですか。「それじゃ、平山さんが書いたようなものですね」と水を向けると、「ほほほほ~」と笑っておられました。さて真実は如何に。
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そんな思い出話や金鶴泳論をお聞きすることができた楽しい時間でしたが、私にとっては、もう一つの特別に楽しい出来事がありました。それは、ビリヤード台に出していただいていた雑誌の中に『文藝』の1985年3月号があり、その号には金鶴泳の遺稿エッセイ「心はあじさいの花」が掲載されていたのですが、なんと、同じ号に、佐藤泰志の「鬼ガ島」も掲載されてるではないですか。ということは、佐藤泰志はこの号が手許に届いたときに、金鶴泳の遺稿を読んだかもしれないということです。その号の目次を見たときに、「あっ」という心の声が私には響きました。いや、絶対に読んでいるはずです。
そしてこの1985年に佐藤泰志は、「オーバー・フェンス」と「そこのみにて光輝く」を執筆しています。ともに映画化された秀逸です。
やはり、彼らはつながっています。こじつけだ、偶然だと言われるかもしれませんが、いや、つながっています。
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そして金鶴泳が亡くなったのは、1985年。佐藤泰志が亡くなったのは、1990年。ともに自死でした。
金鶴泳の思い出話を聞きにいったはずが、金鶴泳と佐藤泰志のつながりを発見する機会になるとは、不思議なことです。

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# by cranebook | 2016-08-23 17:30 | 刊行物関連

呉徳洙監督をしのぶ写真展に行ってきました。

2016年8月5日の金曜日に、在日韓人歴史資料館で開催されている〈呉徳洙(オ・ドクス)監督をしのぶ写真展〉に行ってきました。
在日韓人歴史資料館に行くのも久し振りのことでした。「在日朝鮮人とハンセン病」というタイトルでお話しをされた金貴粉さんの講演を聴きに行って以来ですから、2年ぶりになります。

2年の歳月を経て、今回は呉徳洙監督の写真展というわけです。呉監督は、1984年の『指紋押捺拒否』や1997年の『戦後在日50年史 在日』なとで知られた在日の監督です。しかし昨年2015年の12月3日に74歳でお亡くなりになりました。合掌。
生前に呉監督から、弊社刊行の『金鶴泳作品集』への感想をいただくことがあり、それ以来、たまにお電話をいただいたりしては、叱咤されておりました。「君は若いから、まだまだ暴れることができるじゃないか、うらやましい」といった感じです。そんなときは、電話口で、「いえいえ、そんなに若くはないですよ、それに暴れるっていっても……」と応えては苦笑していたものです。「いやー、呉さん、あなたは若い」。
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写真展は、先に挙げた映画の撮影風景を中心に構成されており、呉監督の、まさに往時をしのぶものになっていました。それになんといっても、私の知り合いがけっこう写真の中にいるではないですか。出演者として、助監督として、プロデューサーとして。世界は狭い狭い。

そんな写真展ですが、会場には、呉さんの近年のヘイトスピーチに対するコメントも貼り出されていて、そこには、かつて在日に義務づけられていた「指紋押捺」を14歳の時にはじめておこなったことに触れられていました。在日は、ここ日本社会で「在日」であることを、この「指紋押捺」という行為によって知らしめられます。14歳という思春期真っ只中で男女を問わず、知らしめられるんです。そう、私も知らしめられました。初めての「指紋押捺」のために中学を午前中休んで、京都の伏見区役所に出向いたことを、呉さんの文章から、強烈に想起させられました。外国人登録課に出向くのですが、それがまた奥まった暗い場所にあるんです。さも、社会の陰部ででもあるかのように。なんでやねー。その時の光景は、いまでも忘れられません。忘れる気などさらさらありませんが。

その「指紋押捺」という行為が、呉さんの映画や、その映画に出演した人々、そして支援者の力によって廃止されることになったのですから、呉徳洙という映画監督を、忘れるわけにはいかないじゃないですか。
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2016年7月の都知事選挙には、元在特会の会長だった桜井豚誠が立候補しました。この豚は公職選挙法を隠れ蓑にして、ヘイトスピーチをまき散らしました。
また、次回の都議会議員選挙では、政党をつくって多くの豚どもを世間にまき散らそうとしています。ぜったいに許すことができません。
こう書いているだけで腹がたってきましたので、今回は支離滅裂ですが、どうかお許しを。

さて、世の中は、けっして良い方向だけには進んでいませんが、呉徳洙監督、安らかにお休みください。
叱咤をありがとうございました。

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# by cranebook | 2016-08-08 16:47 | 雑感

ドキュメンタリー『抗いの記』の試写会に行ってきました。

6月10日の金曜日に、千代田区立日比谷図書文化館でおこなわれた『抗いの記』の試写会に行ってきました。
これは、福岡県の筑豊を拠点に、朝鮮人の炭坑への強制労働の問題や特攻隊の実態などの戦争と平和をテーマに数々のルポルタージュを世に送り出してきた、林えいだいさんの活動を記録したドキュメンタリーです。

とても感動的な作品でした。なにしろ、しばらく前に、林えいだいさんの著作をいくつか読んでいたものですから、その人物像に映像で触れることができたことには、ひとしお感慨がありました。彼が語った「強制労働や労働現場での虐待などの朝鮮人問題は、近代日本の原罪だ」という言葉には、大いに納得させられました。

また、神主であった彼の父親は、炭坑の労働現場から逃亡した朝鮮人を匿まり、援助をしていたそうです。それゆえ、憲兵隊に捕まり拷問され、釈放後まもなくして亡くなっています。「非国民、国賊」と権力から罵られた父親のことを忘れることなく、その子どもとして生きていくことを、林さんは誓ったそうです。つまり「非国民、国賊の息子」として。そのことが、彼の表現活動の根源に横たわっています。また、父親の亡骸を母親とともに火葬したこともが語られます。

彼の著作目録を見て、私は、よくぞここまでしぶとく、戦争と平和についてのルポを書いたものだと感心していたのですが、その理由の一端がわかったような気がしました。
来年の劇場公開に向けて、現在、宣伝活動をしています。また、自主上映会開催の方法もあります。詳しくは制作・配給のグループ現代のHPを参照ください。

みなさん、機会がありましたら、ぜひご覧になってみてください。

余談になりますが、上映後に、西嶋真司監督と、映画のナレーションを担当した田中泯さんによる、東京新聞の論説委員の女性の司会の下でのトークショウがありました。
これまた楽しいトークでした。とくに田中泯さんは、言うわ言うわ、マスコミのだらしなさを。その言葉に会場は大盛り上がりでした。ともかく、良い時間でした。
ちなみに、林さんは、私の父と同い年でした。
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# by cranebook | 2016-06-14 17:32 | 雑感